歴史

– 名前の由来 –

正式名称は「上関山極楽寺」。鎌倉円覚寺を本山とする臨済宗円覚寺派の禅寺です。1344年開創。開山(寺を開創した僧侶)は仏満禅師大喜法祈大和尚、開基(寺の創建に尽力した資主)はその弟、今川範国です。

はじめ「定慧山極楽寺」という法相宗の寺があったのを仏満禅師が禅寺と改め、百丈禅師(中国唐代の禅僧)の木像を安置し「百丈山極楽寺」と改名しました。その後、足利尊氏による寺院の建立や寄進があり、開山の弟子、極楽寺2世である季高禅師が「上関山極楽寺」と改めました。尊氏により寺格が高められ、関所より上の位を表し「上関山」としたという逸話がありますが書物等の記録には残っていません。

– 開山 –

開山、仏満禅師の顔が描かれた書物はありません。極楽寺には開山の木像が現存しています。「平生一笑春風面」と称されたように、開山の木像は満面に笑みをたたえ、温情溢れる顔つきをしています。

その反面、開山は「平生の気宇万夫の雄」として、勇猛な心もちを讃えられました。そこには、足利氏の支流今川基氏の5人兄弟の四男として生まれた、武門今川家の血筋が感じられます。仏満禅師はその後、出家して太平和尚の弟子になり、禅の修行を積み、師の法を継ぎました。その名声は徐々に天下に聞こえ、有名な鎌倉五山の浄智寺(34世)、円覚寺(30世)、建長寺(40世)で住職を務め、また多くの寺を開創しました。極楽寺を含めその数は14寺です。1368年、師匠である太平和尚の祥月命日である9月24日、続燈庵後の絶壁に造っておいた岩窟にこもり、坐禅をして、弟子や後世のために詩を残し、入定(高僧が亡くなること)しました。入定から650年となる2018年秋、円覚寺管長、横田南嶺老大師のもと、開山仏満禅師六百五十年遠忌が厳修されました。

– 大雄山最乗寺との関係 –

大雄山最乗寺は、1394年、了庵禅師により開山された曹洞宗の禅寺です。最乗寺の建立中、了庵禅師は極楽寺を宿としていました。その縁から、入寺式(住職として寺に入る際の儀式)や開山忌(開山の祥月命日に行う儀式)は、宗派を超え、互いに招請し合う関係を築いています。

了庵禅師は極楽寺に安置されていた百丈禅師の木像が亡き師匠にそっくりであったことに心を打たれ、最乗寺開山後も、朝になると遠い山道を極楽寺まで下り、木像を拝み、また最乗寺に戻っていきました。これを見ていた当時の極楽寺2世季高禅師は「それほどまでに厚く信心されるのなら差し上げましょう」と、この木像を最乗寺に寄進しました。