お散歩

静謐に包まれた境内で、ゆったりとした時間をお過ごしください。

– 山門 –

仏教寺院では仏殿前の門を山門と呼びます。現山門は、21世瑤堂宗環代に建造されたものです。山門を正面に右手前には「草も木も色おしなべて風かほる 五世六苑桃僊」という句碑が建っています。これは俳人として高名であった19世象外法全により詠まれた句です。五世六苑桃僊とは象外法全の俳号(俳人として用いた名)です。

– 参道 –

本堂へ続く参道は両脇をツツジが飾ります。また10メートルを超える桜が高くそびえ、春はツツジと桜のピンク色で華やかに彩られます。夏は瑞々しい緑色に覆われ蝉が賑やかに夏の音色を奏でます。初冬の肌寒さを感じる頃には、もみじや銀杏が赤や黄色に色づきます。そして寒さ厳しい冬の静寂さの中で、参道は禅寺らしい荘厳たる雰囲気に包まれます。

– 六地蔵、三界万霊碑 –

参道の突き当りにある石段の手前左には、六地蔵菩薩像が2組、前後で並んでいます。人は死後に六道という6つの世界のいずれかに生まれ変わるとされています。六道とは地獄道(生前の罪により罰を受ける世界)、餓鬼道(飢えと渇きの世界)、畜生道(人以外の動物の世界)、修羅道(憎しみと争いの世界)人間道(人の世界)、天道(人を超えた存在であるが、まだなお悟りに達しない天人の世界)の6つです。それぞれの世界で地蔵菩薩は人々を救済するといわれています。また同場所にある「三界万霊」と彫られた石碑は、3つの世界に宿るすべての霊を供養するために建てられたものです。三界とは欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の3つの世界を表します。

– 槇の二本木 –

石段を上がると左右に2本の槇の大木がそびえ立ちます。この大木は寛政年間の境内図にもかなりの大木として描かれていることから、樹齢400年は優に超えている古木と考えられます。長年に渡り極楽寺の歴史を見続けてきた大切な槇の木です。

– 鐘楼(鐘つき堂) –

鐘楼には、高名な鋳物師 鵜塚太郎左衛門吉辰により鋳造された梵鐘(全長約124cm、直径約70cm、厚さ約7cm、重さ約300kg、1698年2月24日鋳造)が掛けられていました。しかし太平洋戦争下に金属類回収令を受け、この鐘は回収されてしまいました。その後、1956年4月8日、檀徒一同と富士フィルム株式会により現在の梵鐘が取り付けられました。この鐘の側面には、当時の住職、第22世無禅貫一による説明文(この梵鐘が寄進されるに至った背景)が刻まれています。また現在の鐘楼は、1956年7月に再建されたものです。4本の﨔柱には各方位に合わせて、東西南北の四方を守る四神(東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武)の精巧な彫刻が施されています。

– 天神堂(菅霊堂) –

現在の天神堂は、23世智閑宗勝の代に再建されたものです。堂内には古くから極楽寺に現存する菅原道真の小さな木像が祀られています。学問、書、詩文にすぐれた菅原道真は天神様という学問の神として崇められています。合格祈願、学業成就にご利益があるお堂です。

– 井戸跡 –

太平洋戦争下に都会から極楽寺に疎開してきた人々により掘られた井戸です。現在は埋められていますが、戦争を忘れないための遺跡として残されています。

– 俳禅碑 –

山門前の石碑に刻まれた俳句を詠んだ俳人、五世六苑桃僊(19世象外法全)の功績を讃えて、1903年7月に建てられた石碑です。象外法全は俳句を好み、その奥を究め、俳句をもって難しい禅理を人々に論じました。

– 十一面観世音菩薩立像 –

1987年9月、檀信徒により寄進されました。十一面観世音菩薩は頭上に11の顔を持ち、全方向を見守っています。現世での10の利益(十種勝利)と来世での4の果報(四種功徳)をもたらすといわれています。

– 松田尾張守憲秀の墓 –

裏山の高台に松田尾張守憲秀の墓があります。松田尾張守憲秀は天正時代(1573年~1593年)に老朽化した極楽寺を再建した人物です。松田家は北条早雲の頃から代々家老を務め、憲秀は小田原北条家(後北条家)の重臣として活躍しました。しかし豊臣秀吉による小田原攻めの際、主人の北条氏政を裏切り、1590年に小田原城は落城。戦が長引くことで最も被害を受ける農民を救うべく、いち早く戦を終わらせるために憲秀は苦渋の決断をしたと伝えられています。松田尾張守憲秀の墓の横には、開山塔があります。五輪塔の空輪(最も主流の墓塔形式が五輪塔。その一番上の石が空輪)を円形にして、そこに開山の遺偈を彫った変わった塔です。